『お盆休み』のない会社に勤めております。
お盆だからって、特別なことをする習慣のない家に育ちました。
行ったことないわけではないけど、お墓参りに行く習慣のない家に育ちました。
墓地には一人で行けるけど、たぶんそこですぐには自分の家のお墓を見つけられない、そんな私です。
そして、お墓参りに行かないことで、少し、現実から逃げている、そんな私です。
でも、ココ最近の何年かで、お仏壇にお線香をあげられるようになりました。成長しました。
最近、世の中では痛ましい事件がいろいろと報道されてますね。
なんてこんな文章、もういい加減使い古されたでしょうかね。
でも、使い古されるほどに続いているとも言えますね。
人はみな、生まれ、生き、死ぬ。
人生の 長さは人それぞれで、濃さも人それぞれで、深さも人それぞれで、色も、形も、同じものは決してない。
その最期を迎える原因もまた、人それぞれ。原因の後ろにある背景も、人それぞれ。
お盆に考えてみるといいと思う。
自分が、周りの人たちが、こうやってここに存在するまでに、
どれだけの命が継がれてきたのかということを
どれだけの人と関わってきたのかということを
どれだけの涙を流し、どれだけの笑顔を誘い、はじけさせたのかということを
みんながちゃんと、きちんと、そういうことをせめて一年に一度でも考える機会を持てたなら
毎日の新聞の内容もニュースの内容も、もっと華やかに、穏やかに、朗らかに、彩りを添えられた内容になる。
でも、私は知っている。そんなこと、理想に過ぎないということ。
そんな今の私が考えること、それは、
許しって、諦めと、隣り合わせってこと。
「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」を
「ゆるしたら、そこで人生終了ですよ」と読み替える。
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